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ジュニア年代を見て気づいたこと

2024年から小学生年代の担当になった。

担当は1年生から6年生。
個性も様々、レベル感も様々。意識レベルも違う。
その中で全員に可能性がある。と思っている。

子供達それぞれに自分の可能性に対する意識、自己認識が違う。

可能性を感じている選手ほど、自己重要感を感じている。

これは大人もそうだが、自己重要感を感じれていない人は多い。

過去の自分の成功体験を心の底で受け取ることができていないため、自己受容ができていない。
だから心の底から自信を持ってアクションを実行することができない。挑戦ができない。

それは自分に当てはめても同じだと思う。過去に失敗した自分や否定された自分を追体験していまいアクションにストップがかかる。

自分の中に行動を制御してしまう信念や不安、恐怖があり、行動をやめさせようとする”自己防衛”が作動する。

これは16歳までに作られてしまう無意識である。

この無意識を変えるためにはまず自己内省すること。自分を客観的に言語化したり、
感情、思考を振り返ることが重要。 
自己内省を行っていくことによって、内省言語が出てくる。この言語によって、自分の中から教訓やインスピレーションが
生まれる。

行動を変容するパターンを獲得する。

モチベーションではなくインスピレーションが大事。

小学生の低学年はインスピレーションで動いている。動きが直感的で非論理的。だから面白い気づきがある。
逆に学年が上がれば上がるほど、モチベーションで動く。

ミスしてはいけない。 活躍しなければいけない。 得点を取らなければいけない。 試合に出なければいけない。

MUST業務が多くなり、本来の自分らしさを発揮できなくなる。
フレームは大事であるが、ありのままで生きる自分を消してしまうフレームはいらない。

規則ではなく、規律。 制限ではなく制約の中で生きることが大事。

自己表現ではなく、自己防衛が働いてしまう、サッカーというスポーツの特性。足でやっているからこそミスが多く、そのミスを自己受容できない。
コーチや先生もそのミスに寛容になれない。
だからこそ失敗回避型の人間、外的動機付けでしか動けない人が育つ教育システム。これを変えていきたい。

ここの解決策、指導方針、指導方法、カルチャーを考えていかなければいけないと感じた。  

リーダーとは目的・目標への執着力が高い人

こんばんは。

気づきのシェアです。


リーダーの定義は二つ

①目的・目標に執着している人(明確な設定がある)
②目標と行動が連動している人(自己矛盾がない)


執着というとあまり良い表現ではないが、
目標への執着というのは、目的・目標が明確であり、方向性がわかっている。
その方向に対して強い推進力を持って突き進んでいる人。その目標が欲しくてたまらない人である。

執着しているからこそ、ありとあらゆる方法を考えるのである。

例えば、成功するためにアイディアを100個出してくださいと言われたとする。
ほとんどの人はそんなに出せないと言うと思う。

しかし1億円あげるので1000個アイディアを出してください。とリクエストが出た場合

みんなが死に物狂いでアイディアを探そうとするだろう。おそらくどんな手段を使ってもアイディアや情報を取りにいく行動をする。

これが執着力だと思う。目標が心から欲しいものであれば、身体が勝手に動く。
やるか、やらないかの判断や意志力など必要がなくなる。 生理現象として、身体が目標と連動して勝手に動く状態がベスト。

だからこそリーダーが率先垂範し、自分が一番行動で示し、現実を作っていく。
一番最高の状態は、呼吸するように目標に対して行動ができている人。

連動するというのはそういうこと。全ての選択が目標に近づくための選択になっていることが重要。

辿り着きたい場所が明確で、なおかつ自分の現在地が明確だとより良いと思う。

今の自分の現状をしっかりと理解して、なおかつ、自己受容できる。自分を受容できる(良いところ、改善が必要なところ、嫌いなところ全てひっくるめて)
自己受容感が強いと他者を受容できるキャパシティーも大きくなっていっく。

本来の自分のありのままの姿で生きることができて、全ての人を受容でき素晴らしいと思える。

そんなリーダーを育成したいし、自分もそうでありたいと常に思っている。  

重要な気づき


今回は岐阜女子バスケットボール部のトレーニング見学に行きました。

以下、自分の人生において重要な気づきをシェアします。

〜聴く力は偉大なり〜

自分なりに練ってみると。

①聞く 耳で情報を受け取る
②聴く 相手に感情移入し、文字の如く、耳と体と目と心で聴く
③訊く 聴いたことを前提に自分の中でその情報を整理し、相手に質問できるというアクションまでのこと。

同じキクでもレベルが違う。どれだけ人の話に対して素直に成長を考えて、キクことができるか。ここに尽きると思いました。


〜3つの敵〜

①克ち まずは自分に打ち克つこと。妥協する自分にどれだけ勝てるか。
②勝ち 切磋琢磨し仲間、ライバルに勝つこと。競争しグラウンドで勝利すること
③価値 勝利することによって社会・他者に影響を与えること。それが自己価値になり、人生の価値になる。


〜バスケットボールの神様〜

神様に勝たせてあげたい、神様に助けてあげたいと思うくらいの努力をすること。
最も努力するチームが、勝利の権利をもらえる。努力していないチーム、人間性のないチームが勝利することは
社会・他者において失礼であるし、悪い影響を与える。 勝利するなら最も努力する集団でなければいけない。


  

何かを掴もうとしている姿勢



こんにちは。エスティーロ高山FCの井上です。


先週は高校サッカー選手権準優勝の大津高校サッカー部様の練習を見学させてもらい、総監督や監督とのトークセッションも設けていただきました。

シンプルにいうと、勝つ組織の3つの共通点、①オープンマインドで、②一生懸命、③全てに対して学ぶ姿勢(万物全てが師)という姿勢を当たり前に持っています。


特に、大津高校の選手たちの挨拶やトレーニングに対しての姿勢は、シンプルな言葉で言うと【一生懸命、真面目、真剣】というような言葉で表現できると思います。


この幼稚園児でもわかるようなプリミティブな,あまりに当たり前な姿勢ができる人がいないからこそ、高校サッカーの中で突き抜けていくのだと感じました。

一生懸命という熱意は、【何かを掴んで成長したい】という心構えが現れた温度だと感じます。

その雰囲気の温度がこの高校は違うと感じました。 雰囲気の温度は人の心を動かす力もあると感じています。

まさに学校のスローガンでもある、凡事徹底の精神。

 凡事徹底とは【当たり前に誰もができることを他の追随を許さないくらい徹底する精神】であります。

行っているトレーニングや取り組みなどはシンプルです。特別な、特有なことは何一つしていなかったように感じました。

ただ一つ一つのトレーニングに心を込めて、一生懸命やっている姿が印象的で、常に選手たちは【何かを掴もう】という姿勢が感じられました。


スタッフの皆さんの本気、サッカーが好きな気持ちが選手に伝染して、200名の生徒が一貫した熱い気持ちを持った集団になっていると思います。

やはり自分も一スタッフとして頑張ってやっていきたいと思います。


サッカー以外の分野でもエースナンバーをつけられるような人間を育成したい。平岡先生(総監督)の言葉です。

そんな育成をエスティーロ高山FCでも実践していきたいと感じました。  

イチロー選手から学ぶプラス解釈力





イチロー選手から学ぶプラスの解釈力

ライバルとは何か??

イチロー選手のインタビューで印象に残るものを見つけました。

262安打という前人未到の世紀の大記録を達成する前の年、イチロー選手はあるライバルとの対立を余儀なくされます。

アスレチックスのハドソン選手です。彼はことごとくイチローを三振、凡打に抑えていきます。
イチロー選手は全く彼のボールを打つことができませんでした。


ある時にイチロー選手にインタビュアーがこう投げかけます。


「ハドソン選手はあなたにとって苦手なピッチャーですよね?対戦を避けたいのではないですか?」



イチロー選手はこう答えました。



「いえ。違います。勝敗という次元を超えています。彼は私の可能性を引き出してくれる素晴らしいピッチャーです。私も彼の可能性を引き出せる最高のバッターにならないといけません」


普通の選手なら、苦手な相手とはやりたくない。対戦したくない。負けたくない。という感情が沸き起こるでしょう。

イチロー選手は、苦手な難敵を「成長を与えてくれるライバル」としてプラスの解釈をしています。


イチロー選手はのちにこんな言葉を残しています。


「壁(困難)というのはできる人にしかやってこない。超えられる可能性がある人にしかやってこないんです。困難とはチャンスだと思っています」



“困難はチャンス”


この言葉を深く心に定めて、まっすぐに困難に正対できるか。
正対するためには、プラスの解釈が必要だと感じます。


困難は成長のチャンス。常にこの覚悟を心に定めていきたいと思います。
  

成功か成長





こんにちは。エスティーロ高山FCの井上です。

スポーツの中で競争(成功、失敗)は必ず起きます。これはスポーツだけのことではありませんが、

スタメンなのか、ベンチなのか。
AなのかBなのか。
得点を取ったのか、取れなかったのか。
トレセンに受かったのか、受からなかったのか。
成功したのか、失敗したのか。

という2軸思考で物事を考えていきます。

結果主義というのはこのような考え方です。

この考え方もありますが、感情に左右されやすく、失敗を起点に悔しさを通り越して
嫉妬に変わったり、成功して傲慢になったりしやすいと感じます。

そしてサッカーやスポーツにおいて成功思考になると陥るのが、主観を失い
自分の成長という一番の財産から遠く離れた、
相手と比べることによる、客観的な世界になります。


誰々よりも上
誰々よりも下

という物差しが常に、他人になります。

もちろん他人の結果や他人の行動はコントロールできないので

感情がどうしても大きく揺さぶられます。



宮崎監督(エスティーロ現監督)は常に「成功を追いかけるよりも成長を追いかける」
と常々言っています。


成長は常に物差しは自分であり、どんなプラスな経験もマイナスな経験も

「全てを」を成長に変えていく心構えです。心の所作です。

マイナス体験は誰もが逃げる、避ける道です。


例えばリフティングがたくさんできる選手は、一番失敗した選手です。一番泣いた選手です。


1回から2回、2回から3回と、何度も何度も失敗を繰り返して

泣きながら、失敗を多くした選手。

だからこそ毎日毎日成長できる。

決して才能や持って生まれたものではないと思います。

失敗とどう向き合っていくか。マイナス体験とどう向き合っていくか。の繰り返しです。


これは自分が成長したいという強い意志から、失敗を許容できる力だと感じます。


ベンチの選手も、トレセンに落ちた選手も、試合に出れなかった選手も、大きなミスでチームが負けてしまった選手も


成功、失敗関係なく

自分に降り掛かる全ての出来事、体験、経験。 災難、苦難、困難を成長の材料にしていけるかが

重要なポイントになります。


困難は乗り越えられる選手にしかやってこない。

その一つの出来事の捉え方で、この先の1年、3年、10年を変えていけることもできるかと思います。

その人の心がその失敗を「最高の経験」なのか「最低の経験」なのかを決めていくことになります。

それは決して他人が決めることでもないですし、その出来事や経験自体が、プラスかマイナスかを決めているのではありません。

全ての体験を成長に変えるのは自分の心です。


この成長思考が私は大事だと考えています。

これはサッカーの枠を大きく超えていける考え方です。  

一事が万事

エスティーロが最も重要視する【助ける心】

こんにちは。

エスティーロはどんなプレイスタイルですか?
どんな戦術ですか?
エスティーロはどんなプレイを重要視していますか?
と聞かれたときに一番に思いつくのは

【助けあうチーム】です。


この『助ける心』はすべての局面に繋がってきます。


全ての局面を3つに分けています。

選手・・・グラウンド、サッカー生活

生徒・・・・学校生活

息子・・・・家庭生活


全ての局面で【助ける心】は活躍することに繋がります。
これをつなげて考えていくことが2倍、3倍成長できるヒントです。

例えば、家庭生活の中で

お母さんは何をしてあげたら助かるかな?と考え、

お風呂掃除をしてあげたら少しは楽になるかな?
と考え掃除を実行する。

それはサッカーにもつながります。


サッカーの中で、中盤の選手はどこにサポートしたら、
プレイしやすくなるかな?
と考えます。


お母さんが困っていることを見る視座とサッカーのチームメイトが試合中に困っている視座という観点から見ると
家庭でもグラウンドでも【人の視座から物事を観ることを鍛えるトレーニング】になります。


もう一つ言うと、

学校で、元気のない友達を見て【どうやったら助けてあげられるか?】

を考えると、【おはよう!!】と元気に挨拶をして『どうしたの?』と

声を掛けます。ここからコミュニケーションが発生し、元気のない友達の問題を解決する可能性があります。


これはサッカーでもつながって

キーパーが失点した後に【ドンマイ!】と声をかけたり


ディフェンスがマークをつききれないときに、【俺がマークつくよ!】と

声をかけて助けることができる。

同じ視点で見ると学校でも試合の中でも【問題を解決する】コミュニケーションをとっていることがわかる。

すべて一事が万事であり、すべての出来事が一貫性をもってつながっていることが分かります。


助ける心という人間としてのベースが、サッカーでも、学校でも、家庭でも、社会でも、地域でも
影響を与えることができるということです。

彼らも大人になったら“働きます” 働く=傍を楽にするという語源。

傍は他者、楽にする=助けると考えると

この『助ける心』はすべての事象に繋がってくることを確信しています。


すべてをつなげていく【視野、視点、視座の3つの目】を兼ね備える人材をこのエスティーロから
輩出したい。そしてそれが【助ける】という美しい心がベースであってほしいと思います。


  

成長するための『自責思考』




こんにちは。お久しぶりです。
久々の投稿となります。

サッカーというスポーツの特性として必ず11人のプレイヤーがピッチに立ち、それ以外の選手はベンチや補欠となります。

ただそのベンチ、補欠という立場がマイナスイメージと捉えられています。

『子供は試合に出ることがすべて』

『子供はサッカーをするために来ている』

『試合に出れないなら意味がない』

などなど。


僕の考えは違います。


試合に出られないということは、何かしらその選手に課題があるし、コーチにもその選手の課題を解決に導きていない原因があります。

どちらにも課題があるので、双方でその課題を解決していくアプローチが必要だと考えますし、そのアプローチこそが『成長』だと思っています。


『全員同じ時間出す』というのは成長の機会にはなりません。


試合に出られない=課題解決の場、成長の機会だと思っています。


スタメンにはスタメンの立場で、ベンチの選手はベンチの立場でしか、成長できないことがあります。

『すべての状況はすべて自分が創り出している』『すべては自分が決めている』

という意識が大事で、それがジュニアユースには話す『自責思考』です。



逆の『他責思考』になると、

『コーチの見る目がない』『環境が悪い』『チームのやり方が悪い』『選考の仕方が悪い』

『あの選手はお気に入りだから』など

自分の原因には一切目を向けず、他人の粗さがしばかりに人生の時間を使う選手へと変貌してしまいます。

全ての現象が自らの成長材料にならないということです。


ですから、サッカーにおいて、ベンチになる選手のほうが多いので、ベンチにいることによって人間性が磨かれたり、もっと成長したりできるような環境を創っていくのが指導者の立場だと思います。

共に成長する。共に楽しみ。そんな環境を創っていきたいと思います。


しかし自責思考の選手は共通点があります。


『優秀な人間は環境のせいにしない。自ら環境を創る』 林修先生より。
  

スポーツが与えるもの




オリンピックを終えて、たくさんのスポーツ選手の活躍を見ることができました。

スポーツとは何かの再確認をできた大会でもありました。

オリンピックの大会理念は『多様性と調和』

そのことを考えながら、エスティーロが大事にしていることを下記に書きたいと思います。


エスティーロはサッカーの中で4つの要素を大事にしています。

心・技・体・知

技術、技能、スキル
定義としては、ボールを自分の意志、イメージと同じようにボールを動かせることだと思います。それにはボールを扱う力だけではなく、自分の身体を扱う力量も必要だと思います。


体力、体格、フィジカル、など様々な言い方はありますが、この中学、小学で一番大事なことは“健全”なことだと思います。健康と安全の両方を意味します。

健康というのは語源的に身体的にも精神的にも健康な状態のことを言います。
チームスポーツの中で安全感、安心感を感じながら、身体機能を向上させていくことがサッカーグラウンドでは大事です。安心感を得るためには仲間との絆や信頼関係が大事かと思います。
安全というのは、選手が安全にプレイできるように、大怪我や大事故をさけながら試合をすることが大事だと思います。

『死ぬ気でプレイしろ!!』という言葉を僕が高校生の時などは言われましたが、今はとにかくリスクを避けていくことが大事だと思っています。

精神面だけで、科学性に基づかず、長時間のトレーニングやハードすぎるトレーニングをすると怪我をしたり、体調に悪影響を及ぼすと思います。


そして『知』とは、自己を確立するために様々なことを学ぶこと。知識量も大事ですが、
『考え方』の部分の指導を意識しています。

『ミスはチャンス』とか『トレーニングと分析』とか『客観と主観』とか、『スポーツにおける態度』とか難しいですが、中学の3年間があれば、理解してくれる選手はたくさんいます。

僕はサッカーは「道」だと思います。
日本には『道』という漢字がつくものがたくさんあります。
武道、柔道、茶道などなど。

規律や儀式を重要視するものばかりです。
サッカーは比較的自由度が高い、個人に意思決定の権利が大きいですが、規律と儀式を各チームで作り、正していくということが大事だと思っています。


毎回違う言葉を使いながら、同じことを何度も何度も繰り返していく。

吉田松陰の言葉に【結果を観ず、心を観よ、道は拓ける】という言葉がありますが、結果が重要な競争世界ですが、このジュニア年代で、競争に対する考え方、競争の原理、そしてスポーツの道理を学んでほしいと思います。
道理がわかっていれば、スポーツの枠を外れても、必ず彼らにとっていい知恵となると思うからです!


そして『心』とは一体何なのか。

エスティーロでは心を『知、情、意』の3つと分けています。


知・・・情報、知識、知恵、戦術、戦略、リーダーとして知識で人を引っ張っていく人は多いと思います。

情・・・感情に寄り添うこと。相手と同じ立場に立ち同じ感情になれること。など、共感できたり、対話を同じ肌感覚でできる人は貴重です。

意・・・強靭な意志の強さ。決断力。実行力。利害、損得に左右されないぶれない自己の意志。



知情意。どれもバランスが大事だと思います。知識だけ多くても頭でっかちになり角がたつ、情ばかりだと他人に流されやすく、意志が強すぎると対立したり、敵も多くなる。

この3つをバランスよく、健全に指導できるように僕も努力していきたいと感じる日々です。

この3つは技術、体力、戦術よりも大事なことだと思っています。このようなことをサッカーを通して伝えていけるようにしたいです。
  

【どんなトレーニングをしたらいいですか?】

【どんなトレーニングをしたらいいですか?】


こんな質問が多いです。


もちろん、トレーニング内容が大事だと思いますが、僕の意見を書きたいと思います。



エスティーロ高山FCではトレーニングの絶対原則である、“オールアウト”自分の100%の力を出し切る。を合言葉に頑張っています。

ALL=すべて

OUT=出し切る


例えば、どんなプレイがオールアウトなのか。

スライディングでボールを奪う。
相手のシュートを体を張って止める。
味方のミスを奪い返すために全力で自陣に走って戻る。
ミスをした味方を鼓舞する。

どれだけ下手な選手でも、こういう“姿勢”のプレイを観ると、僕は感動します。
心が動きます。


もちろん、毎日毎日、磨き続けてきた技術が、試合の成果として出たプレイにも感動します。


そのプレイに“心”があるか否かが、僕の基準です。


汚れるのが嫌、走るのが嫌という、楽しいプレイ以外はやりたくない。

“自分の為”にプレイしている選手にはあまり心が動きません。


日誌でいろんな選手の日常の行動を見ていますが、

例えば、

坂道ダッシュを毎日している選手が


試合の時に、ミスをしても


一生懸命、そのボールを取り返すために、走っている姿を観ると

僕の心は動きます。 その選手の表裏が見えるからです。


努力はその選手の姿に現れます。

努力はその選手の目に現れます。


毎日毎日、技術トレーニングを信じてやってきた選手が


その技術を試合で繰り出したときに、僕は感動します。


結論を話すと、“どんな”トレーニングをすることよりも


そのトレーニングを“どんな心で”行うかという姿勢が大事。


内容よりもまずは心、姿勢。だと思っています。


【パフォーマンスの方程式=何を×どんな心で】


どれだけ心を込めて、毎回のトレーニングをやっているか。

何回ミスをしたっていいし、何回抜かれてもいいし、何点失点してもいい。


そんなことを思います。

結局はサッカーも信頼のスポーツ。心のスポーツ

仲間と仲間。

監督と選手。

スタッフと選手。

選手と両親、家族。


そこに信頼関係(心と心)が成り立っていないと、どれだけスーパープレイヤーでも、

長くは活躍できないと思います。


トレーニングは内容よりも心。そんなことを想っています。