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トライ&エラー
トライ&エラーで成長を目指す
こんにちは。エスティーロ井上です。
クラブユースで2連敗を喫してしまいグループリーグ敗退となりました。
多くは監督僕の責任と感じています。
15リーグに向けてまた一から取り組みをしていかないとと感じています。
トライ&エラーをくりかえすことはどんなスポーツにも必要なことだと思いますが、
なかなか人間はエラーの負の感情が嫌いで継続することができません。
小学生でもリフティングなどで回数を伸ばしていく選手に共通することは、トライ&エラーの
エラーを楽しんでいる選手です。失敗のとらえ方が違うのだと感じます。
失敗が嫌いな選手は成長できません。成長は失敗というものとセットだと感じているからです。
ほとんどのスポーツ選手が、どうやったら勝てるのか、どうやったら活躍できるのかばかり考えます。
それと同じくらいに大切なのが、どうやったら負けるのか、どうやったら活躍できなくなるのか、
なぜ負けたのかということなのですが、選手はそこに全く注目していません。
【負ける】【失う】ということに対して、意味がないと理解しているのか、避けているのかどちからかです。
電球を発明したエジソンがインタビュアーに聴かれました。
【1万回も失敗したそうですね】
するとエジソンは
【失敗はしていません。うまくいかない方法を1万通り発見できたんです!!】
このエジソンの【うまくいかない方法を発見していく作業】が成長、自分づくりの基本基礎だと感じています。
エジソンは失敗を前に進むための材料と考えています。
製薬会社の新薬開発チームの人たちやノーベル賞などを取る研究者の言葉を見ても、死にたくなるほどのトライ&エラーの果てしない繰り返しによって、成果を出されている。
それはサッカーも同じだと僕は感じています。
とにかく自分の失敗、成功共にしっかりと振り返り、言葉に書いていく。
エジソン、稲盛和夫、大谷翔平など研究者、経営者、アスリート問わず、大成功を収めた人たちは、気が遠くなるほどのトライ&エラーと振り返りの2つを継続してやり続けてきたのです。
僕自身もさまざまなことにトライ&エラーをしていきたいと思います。
------------------------------------------------------------------------------
【知足】【感謝】
このコロナ過でトレーニングを制限されたり、時間が限られている中で、様々な感謝にも気づけました。
【全世界で約4人に一人が教育を受けられず文字が読めない】
【35か国の人々が食べるものがなく栄養失調に苦しんでいる】
【水道がない国では、雨水をためて使っている】
今現在当たり前のように使わせていただいているものや自分たちのために当たり前のように存在しているものにまず知足(足りていることに気づく)そして感謝していきたい。
こんにちは。エスティーロ井上です。
クラブユースで2連敗を喫してしまいグループリーグ敗退となりました。
多くは監督僕の責任と感じています。
15リーグに向けてまた一から取り組みをしていかないとと感じています。
トライ&エラーをくりかえすことはどんなスポーツにも必要なことだと思いますが、
なかなか人間はエラーの負の感情が嫌いで継続することができません。
小学生でもリフティングなどで回数を伸ばしていく選手に共通することは、トライ&エラーの
エラーを楽しんでいる選手です。失敗のとらえ方が違うのだと感じます。
失敗が嫌いな選手は成長できません。成長は失敗というものとセットだと感じているからです。
ほとんどのスポーツ選手が、どうやったら勝てるのか、どうやったら活躍できるのかばかり考えます。
それと同じくらいに大切なのが、どうやったら負けるのか、どうやったら活躍できなくなるのか、
なぜ負けたのかということなのですが、選手はそこに全く注目していません。
【負ける】【失う】ということに対して、意味がないと理解しているのか、避けているのかどちからかです。
電球を発明したエジソンがインタビュアーに聴かれました。
【1万回も失敗したそうですね】
するとエジソンは
【失敗はしていません。うまくいかない方法を1万通り発見できたんです!!】
このエジソンの【うまくいかない方法を発見していく作業】が成長、自分づくりの基本基礎だと感じています。
エジソンは失敗を前に進むための材料と考えています。
製薬会社の新薬開発チームの人たちやノーベル賞などを取る研究者の言葉を見ても、死にたくなるほどのトライ&エラーの果てしない繰り返しによって、成果を出されている。
それはサッカーも同じだと僕は感じています。
とにかく自分の失敗、成功共にしっかりと振り返り、言葉に書いていく。
エジソン、稲盛和夫、大谷翔平など研究者、経営者、アスリート問わず、大成功を収めた人たちは、気が遠くなるほどのトライ&エラーと振り返りの2つを継続してやり続けてきたのです。
僕自身もさまざまなことにトライ&エラーをしていきたいと思います。
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【知足】【感謝】
このコロナ過でトレーニングを制限されたり、時間が限られている中で、様々な感謝にも気づけました。
【全世界で約4人に一人が教育を受けられず文字が読めない】
【35か国の人々が食べるものがなく栄養失調に苦しんでいる】
【水道がない国では、雨水をためて使っている】
今現在当たり前のように使わせていただいているものや自分たちのために当たり前のように存在しているものにまず知足(足りていることに気づく)そして感謝していきたい。
258日ぶり更新 3つの心
エスティーロが大事にする3つの心
感謝の心
謙虚な心
助ける心
感謝の心から出る言葉は【ありがとう】
ありがとうの語源は【有るのが難しい】。
すなわち有り得ないことが起こっているという意味で、自分たちの身の回りに起きていることはすべて当たり前ではないということ。
高山市の市民時報に載っていた記事でこんな話がありました。
自分たちのお母さんとお父さんの両親はおじいちゃんとおばあちゃん。
そのおじいちゃんとおばあちゃんの両親、そしてその両親にはまた両親がいて、その両親にもおじいちゃんやおあばちゃんがいる。
脈々と命が継承され、一度も途切れることなく、つながってきた命を今自分が受け継いでいる。
その脈々と流れる命を30代さかのぼるだけで、10億人を超える人たちがこの自分の命をつないできたという記事でした。
まさに『今自分が生きていることが奇跡であり、もはや数えることも不可能な無量無数の命のつながりの最先端に僕らはいるんだ!!』ということです。
そして今自分たちが生きているのは膨大な数の他力(家族、仲間、支えてくれる人たち)や無数の生き物の命をもらって食事をして、生きているのです。
そんなたくさんのエネルギーが自分を生かしてくれていることに気づけないというのは、そんな無数のものに“感謝”できていない心に問題があります。
『手を洗おう』と世界で言われていますが、そもそも手を洗う水に恵まれているのはわずかな国々であり、うがいができる国は世界の中で16か国ほどしかないそうです。
世界の国10%の地域でしか、水に恵まれていませせん。
うがいや手を洗うことすらできない国だってあるんです。
『家にいよう』と言っていますが、世界には1億2千万に人がそもそも家がありません。
世界の70人に1人が家がないんです。
帰ったら、おいしい料理があって、あたたかいお風呂が準備されて、家族がいて、やわらかい暖かいベッドがある。
それ自体が『奇跡』なんです。
【忘れる】という漢字は心を亡くすという意味です
無数のものに自分は支えられているということを思い出すことが、
【有り得ないことが起こっている】と思い出すことが、
感謝の心につながり、それを幸せの源泉にして、自分の気力を使ってほしいと思います。
まずは身近な人、些細な出来事、大切な家族に【ありがとう】と言えるところから始めよう。
謙虚な心 【自分の手柄ではなく、お蔭様で。】
京セラの創業者、稲盛和夫さんは【謙虚さとはお守りである】という言葉を残されています。
謙虚な心を持つことが、悪しき出来事や悪縁を遠ざけて、良い人生を送るための護符の代わりとなる意味合いだったようです。
自分を取り巻く境遇、環境、他人に対してどんな時も謙虚な想いを忘れないこと。
常に謙虚にいるために自らを律することが大切なのです。
うれしいことや楽しい事、結果、成功などで、人はどうしてもおごりや高ぶり、ゆるみなどが出てきていしまいます。
そんな時も、自分を律するために謙虚さを忘れない。
そしてこの二つの心を大切にできると
【助ける心】
エスティーロ高山FCのサッカーの戦術すべてがこの『助ける心』につながってきます。
【サッカーはミスのスポーツ】だからこそ、【ミスを助ける文化】を作ることが大切。
【味方に安心感を与える声】【味方を助けるポジショニング】【味方を勇気づけるストローク】
【味方を活躍させるドリブル】など
すべてのプレイの根本は【助ける心】から来ます。
決して、
【自分だけが活躍しよう】
【自分だけが生き残ろう】
【他人を引きずり降ろしてでも活躍しよう】
という心の選手はエスティーロでは出場することはないでしょう。
サッカーというスポーツが、この3つの心を磨くためのツールであり、材料であります。
サッカーというスポーツがチームスポーツで、不確定要素が多く、ミスの多いスポーツの理由がこの『助ける心』を磨くためだと僕は考えています。
ミスを減らす技術トレーニングですら、仲間の事を思いながらトレーニングできるか。
【自分だけの為に作った技術や戦術】と
【沢山の人の為に築き上げた、陶冶された技術、戦術】では、
洗練のされ方が違ってくると思います。
自分だけの事を考えたテクニックに心を動かされた事が僕はありません。
チームを助ける、隣の人を勇気づける、ミスから救い出すという要素がたくさんこのサッカーというボールゲームには隠されています。
イチローは【最近のスポーツ選手には心がない】とインタビューで話していたことがありました。まさにこの3つの心を言っているような気がしてなりません。
エスティーロの選手と共に自分も心を磨いていけるように頑張っていきたいと思います。
感謝の心
謙虚な心
助ける心
感謝の心から出る言葉は【ありがとう】
ありがとうの語源は【有るのが難しい】。
すなわち有り得ないことが起こっているという意味で、自分たちの身の回りに起きていることはすべて当たり前ではないということ。
高山市の市民時報に載っていた記事でこんな話がありました。
自分たちのお母さんとお父さんの両親はおじいちゃんとおばあちゃん。
そのおじいちゃんとおばあちゃんの両親、そしてその両親にはまた両親がいて、その両親にもおじいちゃんやおあばちゃんがいる。
脈々と命が継承され、一度も途切れることなく、つながってきた命を今自分が受け継いでいる。
その脈々と流れる命を30代さかのぼるだけで、10億人を超える人たちがこの自分の命をつないできたという記事でした。
まさに『今自分が生きていることが奇跡であり、もはや数えることも不可能な無量無数の命のつながりの最先端に僕らはいるんだ!!』ということです。
そして今自分たちが生きているのは膨大な数の他力(家族、仲間、支えてくれる人たち)や無数の生き物の命をもらって食事をして、生きているのです。
そんなたくさんのエネルギーが自分を生かしてくれていることに気づけないというのは、そんな無数のものに“感謝”できていない心に問題があります。
『手を洗おう』と世界で言われていますが、そもそも手を洗う水に恵まれているのはわずかな国々であり、うがいができる国は世界の中で16か国ほどしかないそうです。
世界の国10%の地域でしか、水に恵まれていませせん。
うがいや手を洗うことすらできない国だってあるんです。
『家にいよう』と言っていますが、世界には1億2千万に人がそもそも家がありません。
世界の70人に1人が家がないんです。
帰ったら、おいしい料理があって、あたたかいお風呂が準備されて、家族がいて、やわらかい暖かいベッドがある。
それ自体が『奇跡』なんです。
【忘れる】という漢字は心を亡くすという意味です
無数のものに自分は支えられているということを思い出すことが、
【有り得ないことが起こっている】と思い出すことが、
感謝の心につながり、それを幸せの源泉にして、自分の気力を使ってほしいと思います。
まずは身近な人、些細な出来事、大切な家族に【ありがとう】と言えるところから始めよう。
謙虚な心 【自分の手柄ではなく、お蔭様で。】
京セラの創業者、稲盛和夫さんは【謙虚さとはお守りである】という言葉を残されています。
謙虚な心を持つことが、悪しき出来事や悪縁を遠ざけて、良い人生を送るための護符の代わりとなる意味合いだったようです。
自分を取り巻く境遇、環境、他人に対してどんな時も謙虚な想いを忘れないこと。
常に謙虚にいるために自らを律することが大切なのです。
うれしいことや楽しい事、結果、成功などで、人はどうしてもおごりや高ぶり、ゆるみなどが出てきていしまいます。
そんな時も、自分を律するために謙虚さを忘れない。
そしてこの二つの心を大切にできると
【助ける心】
エスティーロ高山FCのサッカーの戦術すべてがこの『助ける心』につながってきます。
【サッカーはミスのスポーツ】だからこそ、【ミスを助ける文化】を作ることが大切。
【味方に安心感を与える声】【味方を助けるポジショニング】【味方を勇気づけるストローク】
【味方を活躍させるドリブル】など
すべてのプレイの根本は【助ける心】から来ます。
決して、
【自分だけが活躍しよう】
【自分だけが生き残ろう】
【他人を引きずり降ろしてでも活躍しよう】
という心の選手はエスティーロでは出場することはないでしょう。
サッカーというスポーツが、この3つの心を磨くためのツールであり、材料であります。
サッカーというスポーツがチームスポーツで、不確定要素が多く、ミスの多いスポーツの理由がこの『助ける心』を磨くためだと僕は考えています。
ミスを減らす技術トレーニングですら、仲間の事を思いながらトレーニングできるか。
【自分だけの為に作った技術や戦術】と
【沢山の人の為に築き上げた、陶冶された技術、戦術】では、
洗練のされ方が違ってくると思います。
自分だけの事を考えたテクニックに心を動かされた事が僕はありません。
チームを助ける、隣の人を勇気づける、ミスから救い出すという要素がたくさんこのサッカーというボールゲームには隠されています。
イチローは【最近のスポーツ選手には心がない】とインタビューで話していたことがありました。まさにこの3つの心を言っているような気がしてなりません。
エスティーロの選手と共に自分も心を磨いていけるように頑張っていきたいと思います。
開幕戦勝利
岐阜県チャンピオンズリーグ開幕
FC GRAQUR 5対0 勝利
こんにちは。久しぶりの投稿になります。
ここ2か月ほどしっかりと準備をしてきました。
準備とは毎日ただ同じことを何も考えずにトレーニングすることではなく、
果てしない改善作業。徹底的に『ミスと向き合う作業』です。
準備=『具体性のある計画と振り返り』
よく少年の試合で『声出そう!!』『おう!!』という声を聞きますが、この『声』は結果に全く結びつかない声です。
それよりも大事なのは具体的な結果に直結する『声』で
その声によってマークをつかせたり
その声によって味方がいいポジションについたり
その声によって仲間の迷いがなくなったり
具体的に選手に影響を与える声が『サッカーに必要なもの』だと僕は思っています。
トップチームはプレイしたすべての試合を分析して、自分の失敗をしっかりと見直し、改善するという繰り返しをしてきました。中学生でありながら自分で試合を分析できる選手も増えてきています。
僕の中学時代では考えられない成長です。
サッカーは失敗が多いスポーツなので、失敗を分析し『負けパターン』『失敗パターン』を繰り返し改善していきます。
唯一の改善方法はやはり『映像』で、振り返り、自分を自分で見るという客観的な目を持たなければいけません。
多くの選手が、ただ試合をして、何のテーマも持たず、トレーニングを淡々と行うだけ。
それでは意味がありません。
試合で見つけた失敗(宝)を大切にして、それを自分に活かしていく。
トレーニングマッチは勉強で例えると、『問題集』『過去問』『ワーク』『模擬テスト』『リハーサル』のようなもので、そこには必ず『答え合わせ』『振り返り』『まるつけ』がセットであると思います。
サッカーも同じで、言葉や感覚ではなく、映像を通して『現実』をしっかりと直視する力をつけていきたいと思っています。
3年生にとっては1試合1試合が中学生生活終了のカウントダウンであるため、時間を大切にしてほしいと思います。
『ミスしたくない』『負けたくない』という恐れよりも、もっともっとサッカーを楽しんでほしい。
楽しむためにはサッカーをもっとうまくなるしかない。
サッカーをもっと知るしかない。
サッカーをもっと攻略するしかない。
監督としてサッカーを通して、エスティーロの選手には『失敗に対しての向き合い方』と
『何事も楽しむための創意工夫』を学んでほしいと思います。
僕にとっては彼らの『物心両面の幸福』が大切で、結果は二の次です。結果は通過点。
『どんな心でサッカーや勉強に向かうか』というのがもっともっと先にあるゴールだと思っています。
だからこそ誰よりも『結果を追求する』
結果を追い求めて得た学びは彼らにとって貴重な宝物になるはず。
FC GRAQUR 5対0 勝利
こんにちは。久しぶりの投稿になります。
ここ2か月ほどしっかりと準備をしてきました。
準備とは毎日ただ同じことを何も考えずにトレーニングすることではなく、
果てしない改善作業。徹底的に『ミスと向き合う作業』です。
準備=『具体性のある計画と振り返り』
よく少年の試合で『声出そう!!』『おう!!』という声を聞きますが、この『声』は結果に全く結びつかない声です。
それよりも大事なのは具体的な結果に直結する『声』で
その声によってマークをつかせたり
その声によって味方がいいポジションについたり
その声によって仲間の迷いがなくなったり
具体的に選手に影響を与える声が『サッカーに必要なもの』だと僕は思っています。
トップチームはプレイしたすべての試合を分析して、自分の失敗をしっかりと見直し、改善するという繰り返しをしてきました。中学生でありながら自分で試合を分析できる選手も増えてきています。
僕の中学時代では考えられない成長です。
サッカーは失敗が多いスポーツなので、失敗を分析し『負けパターン』『失敗パターン』を繰り返し改善していきます。
唯一の改善方法はやはり『映像』で、振り返り、自分を自分で見るという客観的な目を持たなければいけません。
多くの選手が、ただ試合をして、何のテーマも持たず、トレーニングを淡々と行うだけ。
それでは意味がありません。
試合で見つけた失敗(宝)を大切にして、それを自分に活かしていく。
トレーニングマッチは勉強で例えると、『問題集』『過去問』『ワーク』『模擬テスト』『リハーサル』のようなもので、そこには必ず『答え合わせ』『振り返り』『まるつけ』がセットであると思います。
サッカーも同じで、言葉や感覚ではなく、映像を通して『現実』をしっかりと直視する力をつけていきたいと思っています。
3年生にとっては1試合1試合が中学生生活終了のカウントダウンであるため、時間を大切にしてほしいと思います。
『ミスしたくない』『負けたくない』という恐れよりも、もっともっとサッカーを楽しんでほしい。
楽しむためにはサッカーをもっとうまくなるしかない。
サッカーをもっと知るしかない。
サッカーをもっと攻略するしかない。
監督としてサッカーを通して、エスティーロの選手には『失敗に対しての向き合い方』と
『何事も楽しむための創意工夫』を学んでほしいと思います。
僕にとっては彼らの『物心両面の幸福』が大切で、結果は二の次です。結果は通過点。
『どんな心でサッカーや勉強に向かうか』というのがもっともっと先にあるゴールだと思っています。
だからこそ誰よりも『結果を追求する』
結果を追い求めて得た学びは彼らにとって貴重な宝物になるはず。
クラブ理念
エスティーロ高山fc監督の岸田です。
監督としてまずはこのチームの中で一番行動量を増やしていきたいと思っています。
チームの理念として
『サッカーを通して選手たちが本気になる』『子供たちの物心両面の幸福の追求』
子供としても、選手としても、トップレベルを目指すアスリートとしても、様々な価値観、生き方、サッカーの考え方を持った選手、家族がいろんな縁で集まってくれたチームです。
誰もが大切な価値観、人生観、家族観、大事なもの、幸せを抱きしめて生きています。
選手たちがサッカーを通して、これから生きていくうえで大事なものを見つける手助けをしたいと思っています。
監督として努力量を最大化し、選手たちをサポートしていきたいと思います。
サッカーは子供たちを『退屈』『寂しさ』『悲しさ』のような感情から遠い場所に連れて行ってくれるものだと僕は思っています。
サッカーを通して出会う仲間、見つけられる価値観、経験する失敗も成功もすべて、人間として成長するための財産になっていく。
【退屈】という感情からエネルギーは生まれません。
【悔しさ】という感情からは次なるエネルギーは生まれると思っています。
勝負の中で悔しいと思えるような体験ができることが僕は大切だと思います。
毎日流れ作業のようにトレーニングをして、全員と同じ時間の出場時間で、同じポジションで同じような試合を演じて、その『悔しい』『うれしい』という感情が沸き起こるでしょうか?
成長を追求しながら、結果を追いかける。それがスポーツの絶対原理。
その成長を追求する中で、
『存在』を承認し(チームにいてくれてありがとう)
『意識』を承認し(トレーニングの意識が素晴らしい!!)
『過程』を承認し(テストはうまくいかなかったけど今回の努力が素晴らしかった!!)
『結果』を承認する(ナイスゴール、ナイスパス!!)
言葉や表情を使って選手たちに元気を与えたいと思います。
僕にも自分のコーチがいますが、彼に話を聴けば聞くほど、サッカーは「技術」と『フィジカル』、『戦術』だけで勝てないのだと確信しています。
【心の勝負】であり、【生活が鏡となって】反映されるスポーツがサッカーです。
心、技、体、知、生活。
この5つを磨き上げていくことによって自分らしさに磨きがかかっていく。
スタッフ陣が2つの理念
『サッカーを通して選手たちが本気になる』『子供たちの物心両面の幸福の追求』
を目指し、指導していきます!
明鏡止水の心境で。
こんな時こそ明鏡止水の心境で
こんにちは。なかなかコロナウイルス蔓延の出口が見えてこない今日この頃ですが、光の兆しが見えるような明るいニュースも徐々に出てきています。
鹿島アントラーズが、鹿島スタジアムを使って、ドライブスルー型のPCR検査をするための施設に名乗りを上げたとか。
サッカーチームがサッカー以外の形で力を発揮する。こんなチームにエスティーロがなっていきたいと思います。
こんな時で何事もマイナス思考や批判思考、消極的な側面、引き算の考え方で見てしまいますが
そもそも、『家族がいる』『家がある』『水が飲める』『一家に一台車がある』『誰もが高等教育を受けられる』などなど、『当たり前』と思っていることが、世界的に見ればどれだけ恵まれているのかがわかります。
マスクやトイレットペーパーが売り切れるなどのことがありましたが、猛烈な供給力が需要に難なく追いついてきている模様です。
僕の好きな言葉で、今日のタイトルでもありますが、明鏡止水『めいきょうしすい』。
邪念や心の雑念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。一点の曇りもない鏡のこと。
止水(しすい)というのは水が止まっていて、それが一点の曇りもなく、その水が何かを、誰かを讃えて、鏡のように何かを映し出していること。
この言葉はそもそも、鏡がない時に、『人は流れる水ではなく、止まった水を鏡として使う』という由来から来ている言葉。
人間の身体は60〜70%以上は水でできているので、水というもの関係性と私たちの心は切っては切り離せない関係にあると思います。
心も同じで、邪念やよこしまな気持ち、人や事や物を憎んだり、ひがんだり、悪いところを見つける監視の目をもったりすることによりその『水のような』心は、流されてしまい、自分自身を失うことになりかねない。
穏やかに、静かに、落ち着いて、止まった水のような心で今あるもの、自分、誰かを見つめてみましょう。
サッカーとはまったく関係のない話ですが、今だからこそこんな話もいいかなと思って書いてみました。
こんにちは。なかなかコロナウイルス蔓延の出口が見えてこない今日この頃ですが、光の兆しが見えるような明るいニュースも徐々に出てきています。
鹿島アントラーズが、鹿島スタジアムを使って、ドライブスルー型のPCR検査をするための施設に名乗りを上げたとか。
サッカーチームがサッカー以外の形で力を発揮する。こんなチームにエスティーロがなっていきたいと思います。
こんな時で何事もマイナス思考や批判思考、消極的な側面、引き算の考え方で見てしまいますが
そもそも、『家族がいる』『家がある』『水が飲める』『一家に一台車がある』『誰もが高等教育を受けられる』などなど、『当たり前』と思っていることが、世界的に見ればどれだけ恵まれているのかがわかります。
マスクやトイレットペーパーが売り切れるなどのことがありましたが、猛烈な供給力が需要に難なく追いついてきている模様です。
僕の好きな言葉で、今日のタイトルでもありますが、明鏡止水『めいきょうしすい』。
邪念や心の雑念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。一点の曇りもない鏡のこと。
止水(しすい)というのは水が止まっていて、それが一点の曇りもなく、その水が何かを、誰かを讃えて、鏡のように何かを映し出していること。
この言葉はそもそも、鏡がない時に、『人は流れる水ではなく、止まった水を鏡として使う』という由来から来ている言葉。
人間の身体は60〜70%以上は水でできているので、水というもの関係性と私たちの心は切っては切り離せない関係にあると思います。
心も同じで、邪念やよこしまな気持ち、人や事や物を憎んだり、ひがんだり、悪いところを見つける監視の目をもったりすることによりその『水のような』心は、流されてしまい、自分自身を失うことになりかねない。
穏やかに、静かに、落ち着いて、止まった水のような心で今あるもの、自分、誰かを見つめてみましょう。
サッカーとはまったく関係のない話ですが、今だからこそこんな話もいいかなと思って書いてみました。
自分づくりを大切に。
エスティーロとは『自分づくり』
エスティーロ在籍期間で、監督として選手たちに一番大切にしてほしいことが、『自分づくり』です。
この考え方に至ったのは友達から仏教の考え方を聴いたことです。
仏教の考え方として、人間の根源的な弱さ、子供たちが最も苦しむのは『他人との差』です。
子供たちに多く見られる傾向ですが、『他人と自分を比較して』苦しむ傾向にあります。
『差』が多くの子供たちを悩ませます。
『自分は足が遅い』
『自分は身長が低い』
『自分は身体能力が低い』
『自分はトップチームに選ばれていない』
『試合に全然出られない』
『勉強が友達よりできない』
『友達よりも頭が悪い』
など、すべては外形的なもの数値的なも物質的なものなどの『他人との差』を自分と照らし合わせて、劣等感が生まれています。
サッカーは競争であり、その身体的な『差』や物質的な『差』に大半の選手が苦しめられるところを見てきました。それがスポーツの美しさであり残酷さでもあります。
エスティーロ高山FCも競争を大切にしますが、最も大事にすることは、競争を通して自分づくりをすること。
試合に出ることを目的とし、チームが試合に勝つことを目的とした時点で、大半の選手がこの『差』に苦しんでしまうことは確実になります。
勝つことは目標に過ぎません。
勝負は常に『相対的なもの』であり、他人と競い合うものですが、
結局、勝負や競争は瞬間的なことです。
その瞬間、瞬間に他人との差に囚われることなく、
「自分に向き合きあう」「自分に集中する」という一点集中の考え方でいいと思います。
僕の考えは『他人を引きずり降ろして勝利する』ためのエネルギーは、いつしか自分を見失い、自分を成長させるために使うはずが、他者の足を引っ張るエネルギー、仲間の成長を妨げる力へと変わってしまう可能性があります。
自分に向き合うことができなくなり、他人との差に苦しむのが目に見えています。
『競争に勝つためなら何でもする』という考え方は未来のある子どもにとって危険なことです。
『勝利が目的になった瞬間に自分を高めることと同時に相手の成長を妨げることもどこかで始まる』
エスティーロの『自分づくり』において
『試合の結果』は一つの通過点に過ぎません。
去年行ってきた徹底的な映像分析も準備も『常に自分と向き合い続ける』修行だと思っています。
『試合に負けた自分とどう向き合うか』
『試合に出られなかった自分とどう向き合うか』
『自分はどうやってミスをした仲間を助けることができるか』
『自分はどうやって落ち込んでいる仲間を励ましてあげられるか』
『どうやったらチームの荷物がきれいになるか』
『どうやったら家族が喜んでくれるか』
など『他人との差』に苦しむことなく、『自分と向き合って自分づくりに集中する』ことが僕にとってエスティーロの大きな存在意義、存在意味を持っています。
『自分にしかできないこと』って必ずあると思います。
『あなたがいたからこのチームが強くなった』
『あなたがいたからエスティーロにいるのが楽しかった』
『あなたがいたからチームの荷物が整理された』
もしかしたらエスティーロに入って一度も試合に出られなかったり、一度も活躍できなかったり、一度もチームの勝利を導いたりできなかったりするかもしれませんが、
それは「通過点」。
その通過点はサッカーの中での「狭い世界」の話で、サッカーを教材にして、チームや社会や家庭の「広い世界」に活かす。
みんなが『あなたがいてよかった』と言ってくれるような選手、子供になってほしいと思っています。
監督としてそんな『自分づくりに集中できる環境』を準備していきます。
エスティーロ在籍期間で、監督として選手たちに一番大切にしてほしいことが、『自分づくり』です。
この考え方に至ったのは友達から仏教の考え方を聴いたことです。
仏教の考え方として、人間の根源的な弱さ、子供たちが最も苦しむのは『他人との差』です。
子供たちに多く見られる傾向ですが、『他人と自分を比較して』苦しむ傾向にあります。
『差』が多くの子供たちを悩ませます。
『自分は足が遅い』
『自分は身長が低い』
『自分は身体能力が低い』
『自分はトップチームに選ばれていない』
『試合に全然出られない』
『勉強が友達よりできない』
『友達よりも頭が悪い』
など、すべては外形的なもの数値的なも物質的なものなどの『他人との差』を自分と照らし合わせて、劣等感が生まれています。
サッカーは競争であり、その身体的な『差』や物質的な『差』に大半の選手が苦しめられるところを見てきました。それがスポーツの美しさであり残酷さでもあります。
エスティーロ高山FCも競争を大切にしますが、最も大事にすることは、競争を通して自分づくりをすること。
試合に出ることを目的とし、チームが試合に勝つことを目的とした時点で、大半の選手がこの『差』に苦しんでしまうことは確実になります。
勝つことは目標に過ぎません。
勝負は常に『相対的なもの』であり、他人と競い合うものですが、
結局、勝負や競争は瞬間的なことです。
その瞬間、瞬間に他人との差に囚われることなく、
「自分に向き合きあう」「自分に集中する」という一点集中の考え方でいいと思います。
僕の考えは『他人を引きずり降ろして勝利する』ためのエネルギーは、いつしか自分を見失い、自分を成長させるために使うはずが、他者の足を引っ張るエネルギー、仲間の成長を妨げる力へと変わってしまう可能性があります。
自分に向き合うことができなくなり、他人との差に苦しむのが目に見えています。
『競争に勝つためなら何でもする』という考え方は未来のある子どもにとって危険なことです。
『勝利が目的になった瞬間に自分を高めることと同時に相手の成長を妨げることもどこかで始まる』
エスティーロの『自分づくり』において
『試合の結果』は一つの通過点に過ぎません。
去年行ってきた徹底的な映像分析も準備も『常に自分と向き合い続ける』修行だと思っています。
『試合に負けた自分とどう向き合うか』
『試合に出られなかった自分とどう向き合うか』
『自分はどうやってミスをした仲間を助けることができるか』
『自分はどうやって落ち込んでいる仲間を励ましてあげられるか』
『どうやったらチームの荷物がきれいになるか』
『どうやったら家族が喜んでくれるか』
など『他人との差』に苦しむことなく、『自分と向き合って自分づくりに集中する』ことが僕にとってエスティーロの大きな存在意義、存在意味を持っています。
『自分にしかできないこと』って必ずあると思います。
『あなたがいたからこのチームが強くなった』
『あなたがいたからエスティーロにいるのが楽しかった』
『あなたがいたからチームの荷物が整理された』
もしかしたらエスティーロに入って一度も試合に出られなかったり、一度も活躍できなかったり、一度もチームの勝利を導いたりできなかったりするかもしれませんが、
それは「通過点」。
その通過点はサッカーの中での「狭い世界」の話で、サッカーを教材にして、チームや社会や家庭の「広い世界」に活かす。
みんなが『あなたがいてよかった』と言ってくれるような選手、子供になってほしいと思っています。
監督としてそんな『自分づくりに集中できる環境』を準備していきます。
エスティーロ高山FCに名前を改正
エスティーロの意味とは?
こんにちは。
エスティーロヒダは4月1日をスタートとして、歴史のある百戦錬磨の高山FCと合併をしてエスティーロ高山FCへと生まれ変わります。
なぜ、今回の名前改正にあたり、エスティーロという名前を残していただいたかの経緯を書きます。
基本的に僕は指導者として、『選手の個性』を一番大切にします。
それは創設者であり元総監督の山下監督、そしてジュニアの代表を務めていただいた津田さんもここは同じ考えであると思います。
お二人は長い間飛騨のサッカーを牽引していただき、多くの歴史と結果を残されてきました。このお二人から現場レベルの総監督を引き継がせてもらうことは、気が引き締まります。
話はもどりますが、エスティーロの意味は
エスティーロ=スタイル ※スペイン語の日本語訳
エスティーロ=自分らしさ
エスティーロ=自分の得意技
エスティーロ=自分にしかできないこと
エスティーロ=自分なりの方法で
などすべては『子供の意思決定』で物事を決めていくことが大切だと思います。
指導者にとって『教える』ことが仕事ですが、最終的には選手が『自分で決める』ということが大事です。
エスティーロ高山FCは『戦術』や『ルール』がほかのチームよりも多いと思いますが、
僕は選手には『成功すると思うなら戦術を無視してもいい。でも責任は持ってね』と言っています。
『自分の心が決めたこと』が一番大事で、どれだけ強制的にやらせたり、はめ込んだりしても、長期的な視点から見れば、成長に全くつながらないと思っています。
僕たちスタッフは常に『子供ファースト』『選手ファースト』を考え、その中で『競争』を作っていく。
競争があれば『悔しい体験』『イラつく体験』『挫折』などは出てくるとおもいます。
しかし競争がなければ、スポーツの絶対原理を失い、『本物の楽しさ』から『ふざける楽しさ』になってしまいます。
コーチたちがそういった困難、挫折に陥った選手に対して『寄り添っていく』。
試合に出られなかった選手に対して
『どうやったら試合にからめるか?』
『グラウンドに出なくてもチームを助けることができないか?』と考えさせる。
去年のエスティーロにはピッチオフリーダーという役割で二人の選手が活躍しました。
ピッチ外での取り組みを1日1日、話し合いながら改善しました。
チセイとリクトです。
セナがキャプテンとしてチームを機能させ、バイスキャプテンや他の選手がそれを助ける。
サッカーは『試合に出るため』『試合に勝つため』『目標を達成するため』だけのものではありません。
『勝利は通過点に過ぎない。本物の勝利は人生で幸せであること』という言葉を帝京大学の岩出監督は話しています。
『教材』であり、『手段』に過ぎません。それがサッカーでなくても、勉強や違うスポーツ、課外活動、家族との時間のなかでも自分を成長させる方法はたくさんあると思います。
僕はたまたまサッカーをやってきただけで、サッカーを教えながら
サッカーを一緒にやり、チームを成長させる努力を共にすることによって選手と一緒に成長していきたいと思います。
すべては『自分次第』『自分が一番楽しい』と想うことで勝負する。
『楽しいから』『好きだから』頑張れる。一生懸命やれる。考えて動ける。
僕ができることは『楽しい』『サッカーが好き』と思ってもらえるように指導します。
『楽しい』の延長線上に『努力』や『一生懸命』があると思います。
ただ保護者や指導者、先生に指示されて、言われて努力するのは『行動力』
自分が決めて、考えて動くのは『考動力』です。
それを引き出す努力をします。
それを少しでも達成できるような『笑いが絶えないような環境』がエスティーロ高山FCになるようにスタッフ一同努力いたします。
こんにちは。
エスティーロヒダは4月1日をスタートとして、歴史のある百戦錬磨の高山FCと合併をしてエスティーロ高山FCへと生まれ変わります。
なぜ、今回の名前改正にあたり、エスティーロという名前を残していただいたかの経緯を書きます。
基本的に僕は指導者として、『選手の個性』を一番大切にします。
それは創設者であり元総監督の山下監督、そしてジュニアの代表を務めていただいた津田さんもここは同じ考えであると思います。
お二人は長い間飛騨のサッカーを牽引していただき、多くの歴史と結果を残されてきました。このお二人から現場レベルの総監督を引き継がせてもらうことは、気が引き締まります。
話はもどりますが、エスティーロの意味は
エスティーロ=スタイル ※スペイン語の日本語訳
エスティーロ=自分らしさ
エスティーロ=自分の得意技
エスティーロ=自分にしかできないこと
エスティーロ=自分なりの方法で
などすべては『子供の意思決定』で物事を決めていくことが大切だと思います。
指導者にとって『教える』ことが仕事ですが、最終的には選手が『自分で決める』ということが大事です。
エスティーロ高山FCは『戦術』や『ルール』がほかのチームよりも多いと思いますが、
僕は選手には『成功すると思うなら戦術を無視してもいい。でも責任は持ってね』と言っています。
『自分の心が決めたこと』が一番大事で、どれだけ強制的にやらせたり、はめ込んだりしても、長期的な視点から見れば、成長に全くつながらないと思っています。
僕たちスタッフは常に『子供ファースト』『選手ファースト』を考え、その中で『競争』を作っていく。
競争があれば『悔しい体験』『イラつく体験』『挫折』などは出てくるとおもいます。
しかし競争がなければ、スポーツの絶対原理を失い、『本物の楽しさ』から『ふざける楽しさ』になってしまいます。
コーチたちがそういった困難、挫折に陥った選手に対して『寄り添っていく』。
試合に出られなかった選手に対して
『どうやったら試合にからめるか?』
『グラウンドに出なくてもチームを助けることができないか?』と考えさせる。
去年のエスティーロにはピッチオフリーダーという役割で二人の選手が活躍しました。
ピッチ外での取り組みを1日1日、話し合いながら改善しました。
チセイとリクトです。
セナがキャプテンとしてチームを機能させ、バイスキャプテンや他の選手がそれを助ける。
サッカーは『試合に出るため』『試合に勝つため』『目標を達成するため』だけのものではありません。
『勝利は通過点に過ぎない。本物の勝利は人生で幸せであること』という言葉を帝京大学の岩出監督は話しています。
『教材』であり、『手段』に過ぎません。それがサッカーでなくても、勉強や違うスポーツ、課外活動、家族との時間のなかでも自分を成長させる方法はたくさんあると思います。
僕はたまたまサッカーをやってきただけで、サッカーを教えながら
サッカーを一緒にやり、チームを成長させる努力を共にすることによって選手と一緒に成長していきたいと思います。
すべては『自分次第』『自分が一番楽しい』と想うことで勝負する。
『楽しいから』『好きだから』頑張れる。一生懸命やれる。考えて動ける。
僕ができることは『楽しい』『サッカーが好き』と思ってもらえるように指導します。
『楽しい』の延長線上に『努力』や『一生懸命』があると思います。
ただ保護者や指導者、先生に指示されて、言われて努力するのは『行動力』
自分が決めて、考えて動くのは『考動力』です。
それを引き出す努力をします。
それを少しでも達成できるような『笑いが絶えないような環境』がエスティーロ高山FCになるようにスタッフ一同努力いたします。
競争心よりも向上心
久しぶりの投稿になります。
コロナウイルの蔓延が日本中を騒がしています。
エスティーロも活動自粛を発表させていただきました。
クラブの保護者、選手には本当に申し訳ありませんが、安全と安心あってのスポーツ競技ですから、クラブとしてはこの判断が適切だと思っています。
ご理解とご協力をどうかよろしくお願いいたします。
今日は競争心と向上心について少し書きたいと思います。
エスティーロが選手に対して求めることは『競争を楽しみ、向上心を持つ』ということ
です。
朝練をしていたり、友達と自主トレをしていたりと素晴らしい取り組みだと思います。
スポーツをすることは免疫力を上げますので、選手の体にいいと思います。
部屋の中でゲームばかりしている選手もいるようですが、それはそれでいいと思いますが、、
『他と差はついていく』『サボった今日の一日はライバルが成長した日』ってことでまぁ自分次第、自分なりでしょう。
エスティーロの本義は『自分なり』『自分らしさ』が軸であります。
イチローが『時間を大切にする。』ということを常に言っていました。
友達とオンライン通信でゲームをすることも『友達との時間を大切にする』という心構えならコーチはいいと思います。賛否両論あると思いますが。考え方次第です。流儀で変わります。
でも『やることがないからゲーム』という惰性は、コーチは好まないということ。
強制的に学校にスケジュールを決められている日常とは違い、この休校期間は『自分次第』『自分で作ったスケジュール』です。
エスティーロ高山FCの挑戦は『競争』の部分がかなり重要視されますが。
コーチの本当の目的は『競争心ではなく向上心』を持ってほしいということ。
競争心は外形的、数値的なものが多い。(テストの点数、ゴール数、資格、トップチームのメンバー入りなどなど)
他人と何かを比較して、競争するというときに必要なものだと思います。
競争心も必要なことですが、
向上心は『他人は関係ない』ということで、サッカーにおいては『常にものさしは昨日の自分』という志を持ってほしいと考えています。
『すべてのことを自分の力に換える』というのが向上心。
『ライバルを倒し成り上がる』というのが競争心。
コーチは前者が好きですね。
他人が持っていない、ライバルが持っていない、『自分にしかできないこと』『自分らしさ』が必ずあるはずです。
『自分は自分でいいんだ』と心から思える時に、子供たちは『本当の力』を発揮してきた場面をたくさん見ました。
僕にとってはサッカーはそのためのツールに過ぎません。バスケでも野球でもダンスでも
なんだっていい。そんなことを感じています。
サッカーは『競争心と向上心の違い』を教えてくれる大切な教材だと思っています。
継続する力
こんにちは。エスティーロの岸田です。かなり寒くなってきた高山ですが、寒くてもトレーニングを必死に行う選手たちに感銘を受けています。
天候や状況に言い訳をせずに『当たり前』のことをしっかりと積み重ねていくということが大切になってくると思います。
『当たり前のことを誰よりも当たり前にやる』というのがエスティーロに今必要なことになると思います。
基本的には僕の経験からして、一選手にとって大事なことは
『楽しい、うれしい、心地よい』というものではありません。
グラウンド内で言えば、基礎練習や基本練習、戦術練習など『退屈、しんどい、だるい、つまらない』ものばかりです。
グラウンド外で言えば、整理整頓、挨拶、準備、片付けなども『誰かがやってくれるでしょ?』
という決まり文句で逃げがちです。
『つまらないことでも継続する力』というのがエスティーロに必要なことのような気がしています。
日本のトップ将棋の羽生さんの言葉を。
↓
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↓
『情熱をもって続けていくことって当たり前のことだと思っていたんですが。これが果てしなく難しいことなんだと気づきました。長い目で見ていったときには、同じペースで走り続けていることが才能なのかなと思っています。むしろ瞬間的な情熱やひらめきとか、きらめきというのは大事なことなんですが、中核をなしていることではないのかなと感じるようになりました。』
『僕にとってのプロフェッショナルとは、ゆるぎない人、【大事にしていることを守り続けるている、大事にしていることを信じ続けている】ということではないかと思います』
羽生さんの言葉に【大事にしていることを守り続ける】
エスティーロが一番大切にしていることは【自分らしさ】です。
自分なりの努力、自分なりの工夫、自分なりの生活など。
【自分で決めたこと】を継続して、守り続ける。ということを徹底してほしい。
子供の社会というのは、かなり他人に影響される部分もあると思いますが、『自分を持つ』
『自分の在り方』というようなことも選手たちには考えていってほしいなと思います。
心の技術 8人制を見に行きました。
こんにちは。エスティーロヒダの岸田です。
エスティーロヒダは公式戦までの冬期間に入ります。
雪を勝利するための『要因』にするか、
敗戦の『敗因』にするかは、僕たちの取り組みの仕方次第になると思います。
人工芝やグラウンドを使えないことを言い訳にはせず、それをどうやってチームの優位性に変えていくかを選手たちと話したいと思ってます。
人工芝があり、ナイター施設があり、高額なお金で最高の施設を作り続ける日本サッカーも、
スパイクすら履いておらず、
ぼこぼこの道で真っ暗の中、石ころをゴールに見立てて、ストリートサッカーをしている南米の選手に完膚なきまでに負けています。
雪程度が言い訳にならないということです。
『技術よりも心の技術が必要』という尊敬する方の言葉が身に染みます。
不利な状況を言い訳ではなく、材料にする心の技術を冬に身につけていきます。
苦労は成長の薬ですので、工夫次第ではさらに強いチームになれると確信しています。
頑張りましょう。
トレーニングマッチを行い立て続けに負けが続いていますが、悪くない印象です。
ビルドアップ時に選手たちが判断し、ポジショニングを選んでいる姿勢が見受けられました。
日枝中学校さんとの試合では細かい部分の努力を怠り失点しているシーンがありますが、
メンバーもポジションも変わっていることもありコミュニケーションやユニットプレイがうまくいかず。
この冬の期間はどんどんいろんなメンバーを起用し、たくさんのことを試していく機会にしたいと思います。 もちろん選手たちも冬を越えた後には公式戦が待っていますので、
しっかりと『積み重ねる努力』を続けて欲しいです。
最近はリフティングテストを行っていますが、リフティングの向上という目標もありますが、『どれだけ苦手なことに対して向き合えるか』のテストでもあります。
このノルマだけ達成しようとする選手は得意な右足だけでクリアしてきます。
与えられたノルマが動機ではなく、『自分がうまくなるため、活躍するため』がその選手の動機なら両足を使ってできるようにしたり、ノルマ以上の回数を目指して行うはずです。
両足でできる選手は大体2,3人ですね。クリアすればその努力は簡単にやめてしまう。
受動的な努力(義務)なのか能動的な努力(自分で決めた)なのかはその選手の取り組む姿勢を見ればわかります。
2年後には圧倒的な差がついてしまっている。
このリフティングテストは『心づくり』であって、足の技術を高めながら、心の技術を高めるトレーニングをしているんです。それを気づいている選手は何人かいる。
積み重ねることによって、成長していく。準備することによって、結果が出る。
その最小単位のトレーニングを行っています。
テストに受からず試合に出られない選手は悔しいかもしれませんが、心の技術が足りないです。足の技術じゃないよ。 それを十分認識してほしいものです。
話は変わりますが
昨日は初めて小学生の8人制の大会を見に行きました。
選手たちの気合の入った姿、ゴールを奪って喜ぶ姿、一生懸命走る姿を見て、とても楽しかったです。
一つ気になったのは返事の声の大きさや試合前や円陣などの場面ではたくさん声が出ているのですが、試合中になると『具体的な声』がまったくない。
カバーの声だったり、隣の選手を助ける声、ボールを呼び出す声、アドバイスする声などは皆無でした。
しかし身体能力の差が勝敗の要因を大きく占める小学生年代の中で、技術と戦略で勝ち抜こうとするチームもありとても見ごたえがありました。
目の前の試合に勝つことの大切さもありながら、その試合を糧にして成長していく『積み重ねの勝利』もあります。
僕は8人制こそ映像を撮って、選手たちが振り返るべきだと思います。
アイフォンで少し撮影して、見直しましたが、8人制はやっぱり面白い。
一人のポジションのミスやランニングコースの判断ミスで一気にチームの守備が崩れる。
一人の選手の瞬時のアイディアや発想で、一気にチームの攻撃が加速する。
選手一人の声やプレイがチームの雰囲気を一気に変える。
人数が少ない分、一人の選手の影響力が試合にかなり大きく左右します。
11人制よりも1人の判断の責任が重い8人制ですが、サッカーを『学ぶ』『真似ぶ』ことにおいては非常にいい勉強期間だと思います。
その瞬間の勝ち負けよりも、その試合でどれだけの『成長材料』を獲得するかが、
後から『長期的な勝利』につながっていくと思います。
試合をして、自分に足りないこと、反省点を発見して、次の週のトレーニングで、
改善するという繰り返しが必要です。
『今日はよかった』『今日は悪かった』という言葉だけの印象論はやめて、
しっかりと映像を見て、『事実を見る力』をつける。
『具体的に反省』するというものです。
映像って大事です。エスティーロにも保護者の方が映像を撮って、家で一緒に家族とみている選手が多数います。 素晴らしい取り組みだと思います。
テスト(試合)をしたら、答え合わせ、丸つけ(振り返り)をするようにサッカーもする必要があると思います。
育成年代では目先の勝利だけにこだわらず、
長期的な視点で見ていかないといけないと思いました。
11人制を制するためには8人制を極める必要があるなと感じた1日でした。
僕はまだまだ勉強が足りません。僕も賢くハードワークしていきたいと思います。
【激闘を越えて分析し強くなる。あいまいな強さではなく、我々は『具体的な強さ』を追及する】
ジョゼ・モウリーニョ (元マンチェスターユナイテッド監督)の言葉です。
僕や保護者の方が今日の試合どうだった?と聞くと『よかった』『まぁまぁ』『あんまり』と答える選手たち。
それは『あいまい』であって、『具体的』ではない。
よって次の試合も次の次の試合も勝っても負けても『あいまい』な結果になります。
極論、優勝してもその理由が『よかった』なら、あいまいな結果のままであり、次は優勝できるかわかりません。
具体的な強さを選手たちには知ってほしい。