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明鏡止水の心境で。

こんな時こそ明鏡止水の心境で


こんにちは。なかなかコロナウイルス蔓延の出口が見えてこない今日この頃ですが、光の兆しが見えるような明るいニュースも徐々に出てきています。

鹿島アントラーズが、鹿島スタジアムを使って、ドライブスルー型のPCR検査をするための施設に名乗りを上げたとか。

サッカーチームがサッカー以外の形で力を発揮する。こんなチームにエスティーロがなっていきたいと思います。

こんな時で何事もマイナス思考や批判思考、消極的な側面、引き算の考え方で見てしまいますが

そもそも、『家族がいる』『家がある』『水が飲める』『一家に一台車がある』『誰もが高等教育を受けられる』などなど、『当たり前』と思っていることが、世界的に見ればどれだけ恵まれているのかがわかります。

マスクやトイレットペーパーが売り切れるなどのことがありましたが、猛烈な供給力が需要に難なく追いついてきている模様です。


僕の好きな言葉で、今日のタイトルでもありますが、明鏡止水『めいきょうしすい』。

邪念や心の雑念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。一点の曇りもない鏡のこと。

止水(しすい)というのは水が止まっていて、それが一点の曇りもなく、その水が何かを、誰かを讃えて、鏡のように何かを映し出していること。

この言葉はそもそも、鏡がない時に、『人は流れる水ではなく、止まった水を鏡として使う』という由来から来ている言葉。

人間の身体は60〜70%以上は水でできているので、水というもの関係性と私たちの心は切っては切り離せない関係にあると思います。

心も同じで、邪念やよこしまな気持ち、人や事や物を憎んだり、ひがんだり、悪いところを見つける監視の目をもったりすることによりその『水のような』心は、流されてしまい、自分自身を失うことになりかねない。


穏やかに、静かに、落ち着いて、止まった水のような心で今あるもの、自分、誰かを見つめてみましょう。

サッカーとはまったく関係のない話ですが、今だからこそこんな話もいいかなと思って書いてみました。
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